■序章 「手技とは何か」──なぜ日本は本質を忘れたのか
まず冒頭ではっきり申し上げておきたい。
今日の日本に蔓延する「あん摩とは揉むことだ」「マッサージとは寝て受けるものだ」という通俗的理解は、歴史を無視し、制度を読み違え、技法の実体からも大きく逸脱している。これは単なる誤解ではない。百年かけて積み上げてきた東西の手技療法の伝統を、まるで使い捨ての紙屑のように扱ってきた結果である。
本来のあん摩とは、導引・按・矯——すなわち、動かし、押し、整えるという三位一体の総合体系である。この動かすという要素こそが、現代の人々が決定的に忘れてしまった部分であり、同時に千年以上前の古典において最も重視されてきた精髄である。『導引図』を開けば明らかだ。そこに描かれた姿は体操、ストレッチであり、歩行に類する自動・他動の運動療法である。寝かせて揉むだけの技術は、古典あん摩の一部分にすぎない。
ではマッサージとは何か。
これもまた誤解されているが、国家資格としてのマッサージとは、特定の方法(スウェディッシュなど)を指すのではない。西洋で発展してきたあらゆる手技、リンパドレナージ、筋膜リリース、スポーツマッサージ、トリガーポイント、クラシカルからオステオパシーまで、全部を包括するための概念である。つまり、按摩が東洋の総合手技であるように、マッサージは西洋の総合手技なのだ。
そして指圧。
これは多くの人が点を押す技術だと思っているが、実際には柔術活法・整体・矯正法と深く結びつき、浪越徳治郎が東洋と西洋、活法とマッサージを融合して成立させた独特の体系である。指圧の核心は矯正にある。脊柱を整え、骨盤を整え、関節を動かし、全身の調和を図る総合手技である。
この三つ、あん摩、マッサージ、指圧を国家資格として一本に束ねた意味は極めて重い。
国はどれが本流で、どれが派生かなどとは一切言っていない。むしろ逆だ。
あらゆる手技療法を包括的に扱う専門家を一つの国家資格として育成する
という、世界でも稀な大胆な方針を取ったのである。
にもかかわらず、現代日本では電気を当てないもの、寝て受けるものといった貧困なイメージが先行し、古典の導引や矯正、歩行誘導はそれは違う、それはリハビリだなどと否定される始末だ。まったく的外れである。
行政や医療者が古典を読まず、制度史を知らず、戦後の療術統合の意味を理解していないことが、この誤解を生み続けている。
あん摩マッサージ指圧師免許とは、本来、東洋と西洋のすべての手技を統べる資格である。
国家はこの資格に対して、あなた方が扱っていい技術はここまでと制限したことは一度もない。
危険行為と医行為を除けば、導引も矯正もマッサージも、すべて国家資格者の正当な技術範囲である。それが免許の本質であり、国の意図だ。
今こそ、我々はこの本質を取り戻さねばならない。
東西すべての手技を統合し、人を動かし、整え、改善する本来の治療者像を。
これが、このブログで明らかにしていく中心テーマである。
■第一章「あん摩」とは何か──導引・按・矯正の総合体系
あん摩とは何か。この問いに明確に答えられる者が、実は現代日本にはほとんどいない。行政も医療者も、柔整師も理学療法士も、そして残念ながら一部の国家資格者でさえも、その本質を語れない。なぜか。理由は単純である。古典を読んでいないからだ。
あん摩は揉む技術ではない。
これは断言してよい。
むしろ揉むという行為は、あん摩の構成要素の中では最も比重が低い。あん摩とは、導引(動かす)、按(押圧する)、そして矯(整える)の三要素が互いに絡み合った巨大な体系である。揉むという単一動作に還元するのは、武道を突きだけと言い張るようなものだ。体系を理解せず表面だけ見たものの語りである。
まず 導引。
これは現代でいう運動療法・自動運動・他動運動に相当する。『導引図』『医心方』『仙人導引術』『黄帝内経・素問』『鍼灸甲乙経』をひもとけば、腕を挙げ、体幹を捻り、下肢を伸展し、歩行に類する動きを行わせる姿が数多く描かれている。導引とは体を動かすことで気血を巡らせ、筋骨の調和を図る方法であり、寝かせたまま行う手技だけで成立するものではない。立位・座位・歩行を含めた全身運動こそ導引の本体である。
つまり、現代の訪問マッサージや外来で行われる歩行誘導、立位保持、関節可動域訓練は、本来あん摩の中心であったのだ。
これを否定する者は、単に資料を読んでいないだけである。
次に 按。
これは現代でいう押圧・伸張・牽引・按撫・揉捏を含む広い概念である。しかし按は単なる揉む行為ではない。圧の方向、角度、深さ、速度、呼吸との同調、筋膜の滑走、関節包への角度操作、こうした高度な身体操作をすべて内包している。江戸期の盲人あんまは、筋膜リリース、トリガーポイント、ストレッチング、オステオパシーに近い操作をすでに実践していたことが記録から分かる。
そして 矯。
これは最も誤解されているが、あん摩の中核である。矯正とは、関節の位置を整え、運動軌道を調整し、骨格・筋・腱・靭帯のバランスを回復させる技術の総称だ。柔術活法や整体が後世に発展したのも、もともと矯の思想と技術が存在していたからである。脊椎を整え、肩甲帯の位置を正し、股関節の位置を修正し、動きの癖を変える。これらはすべて古典あん摩の範疇である。
揉むだけの按摩など、歴史上どこにも存在しない。
現代の慰安マッサージのイメージが浸透した結果、日本人は古典の姿をすっかり見失ったのである。
さらに重要なのは、古典のあん摩は 寝かせたまま行うものではなかった という事実だ。
導引の多くは立位や歩行で行われる。
矯正の多くも座位で実施される。
江戸期の盲人あんまは、患者を起立させ、歩かせ、動かしながら施術していた。
これは歩行はリハビリ、運動はマッサージでないという現代の行政的誤解とはまったく逆である。
あん摩とは、身体を動かし、押圧し、整え、歩かせ、鍛え、導いていく巨大な身体技術の体系であり、東洋医学的な全体治療の中核をなす。
だからこそ、後述するように、
あん摩は導引按矯の総合体系
マッサージは西洋的手技体系
指圧は活法・矯正・東西融合の体系
これら三つが国家資格として統一されたのである。
あん摩は寝かせて揉むだけの技術ではない。
そのような狭い概念は歴史上存在せず、むしろ古典に反する。
本来のあん摩とは、
人を動かし、歩かせ、整え、調和させる、総合的な身体操作術である。
その本質を取り戻さない限り、あん摩マッサージ指圧師という国家資格の意味は、永遠に誤解されたままである。
■第二章 マッサージとは西洋医学的手技全体の名称である
日本ではマッサージと聞けば、揉む・さする・軽擦する、といった単純な手技を想像する人が多い。まるでリラクゼーションサロンの延長のようなイメージで捉える者も少なくない。だが、これは西洋医学史を完全に無視した浅薄な理解であり、本来のマッサージとは程遠い。国家資格としてのマッサージ” は、単なるひとつの技術の名前ではない。西洋で発展してきた手で行う治療のすべてを包括するための概念である。
まず押さえるべきは、マッサージという言葉そのものが、19世紀〜20世紀のヨーロッパ医学における巨大な体系名だったという事実である。スウェーデンのペア・ヘンリック・リングが体系化したスウェディッシュマッサージ、フランスで発達したクラシカルマッサージ、英国で洗練されたスポーツマッサージ、医療で重視されてきたリンパドレナージ、これらすべてがマッサージ法の一部である。
しかし、誤解してはならない。
マッサージという語はひとつの特定技術を指すものではない。
それは、西洋医学的な手技の総称であり、場合によっては徒手療法全体と同義にすら扱われてきた。
実際、19〜20世紀の医学書を開けば、マッサージの章には次のようなものが普通に掲載されている。
・軽擦法(effleurage)
・強擦法(friction)
・揉捏法(petrissage)
・叩打法(tapotement)
・振動法(vibration)
・関節モビライゼーション
・筋膜リリース
・ストレッチング
・自他動運動
・整復的技術(マニピュレーション)
そう、関節モビライゼーションやストレッチング、筋膜リリース、整復法でさえマッサージに含まれていたのである。
これを知れば、現代のマッサージは軽擦・揉捏だけという日本的通念が、いかに表層的で歴史と乖離しているかがよく分かる。
例えば、オステオパシーの創始者スティルは、筋膜の癒着を解く手技を「massage」と呼んだ。英国の整形外科医サイラス・ストレッカーは、関節モビライゼーションを「orthopedic massage」と定義していた。スポーツ医学の世界では、筋膜リリースもトリガーポイント療法も、すべてmassage techniquesとして分類されてきた。
つまり、
マッサージとは、押す、揉むに限定された技術ではなく、身体の組織を手で操作するすべての技術のことなのである。
この理解が抜け落ちてしまっているために、日本ではマッサージは慰安、理学療法は治療といった奇妙な区分が生まれてしまった。だが、もともと理学療法の手技の多くは、20世紀前半までは治療的マッサージ(medical massage)として医学書に掲載されていたのだ。西洋においては、手技療法は分類が柔軟であり、筋膜リリースやストレッチングはマッサージの延長線上にあった。
国家資格としてのあん摩マッサージ指圧師のマッサージには、当然この広い概念が採用されている。つまり、国家資格のマッサージは、
西洋的徒手技術の全体を扱う資格
として設計されている。
ここが極めて重要である。
だからこそ、マッサージ師が
・リンパドレナージを行っても
・筋膜リリースを行っても
・関節モビライゼーションを行っても
・ストレッチングを行っても
・トリガーポイントを処理しても
すべて法的に問題がない。
むしろ当然の職能範囲である。
一部の理解の浅い行政が歩行はリハビリ、関節運動はマッサージではないなどと言うのは、単に古典と医学史を読んでいないだけの話である。西洋マッサージの歴史を読めば、自他動運動がマッサージの一部として扱われてきたことは常識だ。
しかし、日本ではこの史実が医療現場で共有されていないため、国家資格が本来持つ法的・歴史的な広さが矮小化され、あたかも慰安的なカテゴリーのように扱われてしまっている。
本来マッサージとは、
西洋医学が生み出した総合的手技体系であり、身体の構造と機能を改善するための科学的徒手療法の集積である。
そして、国家資格のあん摩マッサージ指圧師は、この広大な領域すべてを扱うことを認められた、極めて希少な専門家なのである。
■第三章 「指圧」とは何か──柔術活法・整体・カイロプラクティックを含む東西融合の体系
日本で指圧と言えば、多くの人はツボを押す技術をまず思い浮かべる。まるで点を押す行為だけが指圧の本質であるかのように語られることさえある。しかし、これは完全な誤解である。指圧とは、単なる圧刺激ではない。柔術活法、整体、オステオパシー、そしてカイロプラクティックに通じる矯正技術を核にした総合徒手療法である。
この本質を理解せず、指圧を点押しのように単純化してしまうのは、歴史を読まず、浪越徳治郎という一人の天才が築き上げた体系の深さに触れていないからだ。
浪越徳治郎は「押す人」ではなく「整える人」であった
浪越徳治郎は柔術活法の技術を深く学んでいた。これは整復・矯正の体系であり、古来より武術家や治療者が用いてきた身体バランスの調整技法だ。柔術活法では、関節の位置、筋の張力、腱・靭帯の緊張度、骨盤の傾き、脊柱の配列など、全身の構造を整えるための精緻な徒手操作が行われる。
浪越はこれを単に輸入したのではなく、東洋医学の経絡概念と、西洋マッサージの生理学的理論を融合させた。
つまり指圧とは、
柔術活法(矯正)+経絡(東洋)+マッサージ(西洋)
の三位を統合した体系なのだ。
だからこそ、浪越はこう断言した。
指圧は整体であり、治療である。
この言葉を知る者は少ない。
指圧の本質は「脊椎・骨盤・四肢の矯正」である
日本のマッサージ師は、脊椎矯正を“整体の領域”と誤解している。
しかし、指圧は創始者の時点で明確に、背骨や骨盤の調整を中心に据えている。
指圧では次のような操作が行われる。
・脊柱起立筋を押圧しながら椎体の可動を誘導
・骨盤帯のバランスを調整
・肩甲帯の位置を整える
・股関節の外旋・内旋の癖を改善
・胸郭の可動域を広げる
・横隔膜リリース
・腰仙移行部の矯正
・頸椎のモビライゼーション
・四肢の牽引・調整操作
これらは現代では整体、カイロプラクティック、オステオパシーのカテゴリーに分類されるが、浪越はそれらをすでに吸収して指圧に組み込んでいた。
むしろ、外来で行われる一般的な整体操作の多くは、指圧の手技体系とほとんど差がない。
ツボ押し指圧であるいう誤解の誕生
ではなぜ日本では指圧が矮小化されたのか。
理由は2つある。
1つは、テレビ番組による健康法としての指圧の独り歩きである。浪越の人柄やパフォーマンスが強調される一方、体系としての深さが伝えられなかった。結果、指圧は気持ちいいツボ押しと短絡的に受け止められた。
もう1つは、行政の単純化である。
あん摩・マッサージ・指圧と三つを並列で記載する中で、指圧とは押す技術だろうという短絡的理解が官僚側に浸透し、そのまま通俗的イメージとして固定化してしまった。
だが、浪越徳治郎自身は終生、
指圧は矯正と調整を目的とした総合徒手療法である
と繰り返している。
指圧は東西すべての手技を吸収する器である
東洋の経絡と、柔術活法の整復、そして西洋の徒手療法。これらを一つに統合した体系など、世界を見渡しても極めて珍しい。指圧は、“独自の日本式マニュアルセラピー”という枠を超えて、世界に存在する手技療法の総合母体として成立している。
つまり指圧は、
・整体
・活法
・導引
・整復術
・オステオパシー
・マッサージ
・カイロプラクティック
などを歴史的・技術的に包含する。
国家資格がこの指圧を採用しているという事実は、
あん摩マッサージ指圧師が扱える技術は広大であり、東西すべての徒手技法の運用が許されている
ということに他ならない。
指圧とは矯正を中心に据えた総合手技である
指圧を点を押すだけと捉えてしまうのは、
刀を鉄の棒と評するようなものである。
本質を見誤っている。
指圧とは、
全身の構造を整え、動きの質を変え、姿勢と歩行を改善し、生命力を高めるための総合身体操作法である。
これこそが、浪越徳治郎が残した指圧の真の姿だ。
私は断言する。
指圧こそ、東と西、治療と武術、経絡と解剖学を統合した、日本最高峰の手技体系である。
■第四章 なぜ三つをまとめた国家資格になったのか──戦後法制史と療術統合の真実
あん摩・マッサージ・指圧。
東洋と西洋、導引と按と矯正、活法と経絡と解剖学、本来なら全く異なる出自を持つこれら三体系が、なぜ一つの国家資格としてまとめられたのか。
この問いは、日本の手技療法の歴史を理解する上で、避けて通れない核心である。
だが、多くの人は、この統合を単なる行政上の整理だと思っている。
まったく違う。
これは日本の医療史における、極めて政治的で、思想的で、そして必然的な決断だったのだ。
戦後日本は療術のカオスだった。
終戦直後、日本には何百という療術流派が存在した。
・古典あん摩
・活法整体
・指圧
・導引術
・オステオパシー
・カイロプラクティック
・霊気療法
・電気療術
・光線療法
・観念療法
・民間整復師
・柔術家が行う治療
・町医者のような“ほぼ無免許医療”
これらが縦横無尽に乱立し、しかも名称も技術内容も統一されていない。
まさに療術の戦国時代であった。
戦後の混乱と相まって、国の医療政策は崩壊寸前だったと言ってよい。
厚生省、医師会、警察、視覚障害者団体、療術家団体……
利害はぶつかり合い、誰も着地点を見出せない。
このままでは国民の安全が担保できない。
そこで国が下した結論が、次の一言に集約される。
すべてをひとつに束ねて、国家が責任を持って教育・認定する
そして最大の障壁が誰の技を基準にするか?
である。
統合を決めたところで、問題は山積みだった。
あまりにも流派が多く、誰の技術を国家基準にすべきか争いが勃発した。
ある流派は整体こそ本流だと主張し、
ある団体は活法を外すなと訴え、
視覚障害者団体は按摩を中心にと要求し、
医師会は危険な技術は排除せよと圧力を加えた。
だが、どれか一派だけを国家資格の基準にすれば、
残り全員が反発し、永久に混乱が収束しない。
そのとき、厚生省は歴史的大英断を下した。
すべて包含する
そう、排除ではなく 全取りである。
国家資格の設計思想は手技の名前で線引きしないである。
ここで重要なのは、国が定めた資格の枠組みが、特定流派の技術を採用していない
という点だ。
「マッサージはこの技」
「指圧とはこの操作」
「矯正は含まない」
といった枠を一切作らなかった。
代わりに国がやったことは極めてシンプルで、しかし革新的だった。
① 危険行為は禁止する
② 医行為は禁止する
③ その範囲内での徒手療法はすべて許可する
つまり、
どの流派の技であっても、危険でなければ許される。
これこそが統合国家資格の根幹である。
あん摩、マッサージ、指圧という三名称を採用したのは、
すべての手技が歴史的にこの三要素へ収斂するからである。
あん摩は導引・按・矯正を含む東洋総合手技
マッサージは西洋徒手療法の総称
指圧は活法・整体・矯正を含む統合手技
この三体系を束ねる資格とは、
すなわち 手技で治す者の総合免許にほかならない。
なぜ国は危険な技術だけ排除方式にしたのか?
理由は単純で、そして理にかなっている。
流派ごとに
○○技術はOK、××技術はNG
と区別し始めると、終わりがなくなるからだ。
手技療法は、人の創意工夫によって際限なく発展する。
新しい技術が生まれるたびに法改正などしていては、医療行政が破綻する。
そこで国は、
技術の名前や起源ではなく、危険性でのみ規制するという世界的に見ても珍しい革新的アプローチを採用した。
だからこそ、国家資格者は
・筋膜リリース
・ストレッチング
・関節モビライゼーション
・導引(運動療法)
・歩行誘導
・姿勢矯正
・オステオパシー的操作
・整体的調整
といった東西すべての技法を使える。
これは偶然ではなく、制度設計の必然なのだ。
国家資格はすべての流派を救うために作られた
戦後、日本の手技療法界が瓦解寸前だったとき、
国が選んだ道は、排除ではなく統合だった。
その象徴が、
あん摩マッサージ指圧師免許
である。
これは
・東洋各流派
・西洋徒手療法
・活法
・整体
・導引
・矯正
・ストレッチ
・筋膜操作
これらすべてを扱えることを国が認めた免許だ。
そう、
国家が許可したのは特定技術ではなくあらゆる手技だった。
これが、三体系統合という歴史的大英断の本質である。
■第五章 国家資格が本来守るべき思想は結果を出すなら手段は問わぬである。
あん摩マッサージ指圧師という国家資格の本質を、私は次の一言に要約したい。
患者を改善させるためなら、危険でない限り、どんな手技を使ってもよい
これこそが、戦後の厚生省が採用した手技療法に対する国家の立場であり、国家資格の設計思想であり、日本で徒手療法が法的に守られ得た最大の理由である。
だが、現代の行政も医療者も、さらには国家資格者でさえ、この本質を忘れてしまっている。
国家は技名で技術を制限していない
まず強調したいのは、国家資格制度を定める法律のどこにも
○○法は禁止・△△法は許可
という区別は一切書かれていないということだ。
書かれているのは、極めて単純で明快な条文だけである。
① 医行為は禁止
② 危険な行為は禁止
③ その範囲内の徒手療法はすべてあん摩マッサージ指圧師の業務
つまり国が制限しているのは、
技術内容そのものではなく危険性だけ
なのである。
だからこそ、世に存在する
・筋膜リリース
・トリガーポイント
・ストレッチング
・導引(運動療法)
・歩行誘導
・関節モビライゼーション
・オステオパシー的操作
・カイロ的矯正(危険操作を除く)
これらはすべて国家資格者が使える。
技術の名前ではなく、行為の危険性が判断基準。
これはものすごく自由度が高い制度であり、世界でも珍しい。
一部の勉強不足の行政担当者がよく言う歩行はマッサージではないは誤解の産物
一部の勉強不足の行政担当者がしばしば口にする
「歩行誘導はマッサージではありません」
という発言は、国家制度の理念から外れた個人の思い込みに過ぎない。
そもそも古典あん摩は導引・歩行が中核だ。
西洋マッサージは自動・他動運動を含む。
指圧は矯正・調整を含む。
歩行誘導がダメなら、導引はどうなる?
自動運動はどうなる?
ストレッチングは?
関節モビライゼーションはどう扱う?
そんな線引きは不可能だ。
だから国家は最初から線引きをしていない。
歩行誘導はマッサージである。
導引はマッサージである。
ストレッチングはマッサージである。
矯正もマッサージである。
これが手技療法統合国家資格の思想である。
危険でなければ自由”という設計は、臨床家に最大の裁量を与える
なぜ国家はここまで大胆な制度を作ったのか。
理由は明快だ。
手技療法は、時代とともに進化し続けるからである。
今日の主流技術が、10年後には古典になる。
新しい徒手技法は、科学的知見、人体構造学、スポーツ医学、武術的身体操作などから次々と生まれてくる。
だからもし国が
「これとこれだけ許可」「これはダメ」
と細かく線引きしてしまえば、制度はすぐに陳腐化する。
進化する技術に制度が追いつけない。
この問題を解決するために、国は
技術名では規制しない
という革命的な方針を取った。
実際、この設計によって、あん摩マッサージ指圧師は次のような技術を自由に使える。
・最新の筋膜科学に基づく徒手介入
・現代ストレングス&コンディショニングの知見
・運動療法(導引の現代版)
・立位・座位・歩行の姿勢誘導
・触診による神経筋調整
・PNF的操作
・東洋医学的経絡調整
・骨格矯正(危険操作を除く)
国家資格が守っているのは、
名称の制限ではなく、治療の自由度である。
国家資格者は「目的のために技を選ぶ」ことが許されている
国家資格が保障しているのは、
「どんな技を使うか」という自由ではない。
「何を改善するために、どの技が最適かを臨床家が判断する自由」である。
これを裁量権という。
だから資格者は、患者の状態に応じて、
・筋緊張には筋膜リリース
・可動域制限には関節モビライゼーション
・歩行不安には導引・歩行誘導
・姿勢不良には矯正
・全身調整には指圧操作
・循環改善にはマッサージ
といったように、最適技術を自由に組み合わせることができる。
国が保証しているのは、
「結果を出すための自由」そのものである。
国家資格の本質は技の自由ではなく治す自由である
あん摩マッサージ指圧師免許は、
単なる技法の許可ではなく、
徒手で治すことを国が正式に認めた資格
である。
その本質はただ一つ。
危険でなければ、どんな手技でも使ってよい。
結果を出すなら、手段は問わない。
これは手技療法家にとって最大の自由であり、最大の責任でもある。
■第六章 誤解の正体
行政や医療者が歴史を知らない古典を読まないという構造的問題
ここまで読めば、なぜ現代日本で
あん摩は寝かせて揉むだけ
マッサージは慰安
指圧はツボ押し
という致命的な誤解が蔓延しているのか、その理由が気になってくるだろう。
なぜ、国家資格者ですら古典を語れず、行政担当者も制度の本質を理解していないのか。
答えは単純であり、しかし深刻である。
読むべきものを読んでいないからだ。
行政担当者は古典を読まない。制度史も知らない。歴史を知らない。
まず行政。
彼らは真面目である。書類もきちんと処理する。
だが、手技療法の歴史や古典を学ぶ仕組みが存在しない。
厚生局の担当者は定期的に入れ替わる。
昨日は食品衛生を担当し、今日は理学療法、明日は鍼灸、来週はマッサージ。
こんな状態の人たちに、
あん摩の古典とは、導引とは、指圧の成立史とは
など理解できるはずがない。
では彼らは何を基準に話すか。
自分のイメージ である。
その結果、
「歩行誘導? あれはリハビリ」
「運動? それはマッサージじゃない」
「矯正? 危険だから禁止だろう」
といった 勝手な思い込みが行政の公式見解のように振る舞う のである。
制度の本質とは無関係の、担当者の頭の中のイメージが現場を支配してしまう。
これが日本の最大の問題だ。
医師・医療者も古典を読まない
次に医師。
医師は西洋医学の専門家であり、手技療法の歴史教育は受けていない。
医師の教科書には、
導引も、古典あん摩も、指圧の歴史
あん摩マッサージ指圧がなんなのか
も載っていない。
マッサージは軽擦・揉捏と書かれているだけである。
だから医師にとって
あん摩は揉む技術
運動は理学療法
矯正は整体
という分類で世界が完結してしまう。
医師は悪くない。
学ぶ機会がないだけだ。
理学療法士も歴史的真相を習わない
さらに理学療法士。
彼らが学ぶのは20世紀以降の近代医学体系であり、
19世紀以前の手技療法史、古典あん摩、導引、活法などは教科書に存在しない。
だからPTの多くは
運動はPTの領域
徒手はPTの一技法
という世界観で教育される。
実際には、古典あん摩は導引(運動療法)が中核であり、
西洋マッサージは自動・他動運動を含んでいたが、
この史実を知らないため、
運動を扱うのはPTだけ
という誤った信念が生まれる。
国家資格者自身も古典を読んでいない
もっと深刻なのは、
国家資格者自身が古典を読んでいない、歴史を知らない、制度を知らない という事実である。
その結果、国家資格者ですら
「歩行はマッサージじゃないですよね?」
「矯正は整体ですよね?」
と、自分の資格の本質を見失ってしまう。
本来の国家資格者は、
東洋の導引・按・矯、西洋の徒手療法を統合できる最後の専門家
であるにもかかわらず、国家資格者自身が知らない。
制度は広大で、古典と現代科学を統合する総合徒手療法家を育てる設計になっている。
だが、現実はその広さを全く反映していない。
この矛盾が、現場の混乱を生み出している。
誤解の本質は本来読むべきものを、誰も読んでいないということ。
誤解の正体は明らかだ。
つまり、手技療法を語るべき人間が、
あん摩の本質をどこからも学んでいない。
だから誤解が誤解を呼び、
通俗的イメージが制度の上に覆いかぶさり、
本質が消え去ってしまった。
誤解は個々人の責任ではなく構造的欠陥である
行政の誤解も、医療者の誤解も、国家資格者の誤解も、
誰か一人を責めても意味はない。
それは 構造的現象 である。
・古典を学ばない仕組み
・制度史を共有しない体制
・行政が勝手に線を引く体質
・医師中心主義の歴史
・専門分化による断絶
これらが絡み合って、日本の手技療法は本質を失った。
だが逆に言えば、
本質を取り戻す鍵は、古典と制度史を読み直すことにある。
■第七章 古典の証言──導引は現代でいう運動療法・歩行訓練である
ここまでの議論を読んでも、なお「歩行がマッサージなのか?」「運動はマッサージなのか?」と疑問に思う者はいるだろう。現代日本において、あん摩は寝かせて揉むものという通俗的イメージがいかに深く浸透しているかを物語っている。
だが、古典は違う。
古典は最初から、動かす技術こそあん摩の中心だと明言している。
揉むだけの按摩など、どこにも存在しない。
ここでは代表的な古典を取り上げ、導引な運動療法、歩行であるという事実を明確にしていく。
●『霊枢』──「鍼して気至れば、軽く動作せよ」
中国最古の医学書の一つである『黄帝内経・霊枢』には、こう記されている。
「鍼して気至れば、軽く動作し経脈を通すべし」
つまり、
刺激(鍼)が入ったら、動かして治療効果を高めろ
と言っているのだ。
これは、現代の“運動療法+徒手療法”と同じ思想である。
動けば血流が生まれる。
動けば関節液が動く。
動けば筋・腱・筋膜が滑走し、疼痛も解ける。
古典あん摩は、それを2000年前に理解していた。
●『鍼灸甲乙経』──「動かして気を行らしむ」
『鍼灸甲乙経』には、さらに踏み込んだ記述がある。
「刺して気行かざれば、動かして之を行らしむ」
これは
動作によって治療効果を発動させよ
と言っているに他ならない。
刺激だけでは足りない。
動作(導引)こそが治療完成の条件だ と言っているのだ。
この動かすという操作が、現代で言えば
・ROM訓練
・関節モビライゼーション
・筋膜スライド
・歩行誘導
に相当する。
古典では、これらをすべて導引と呼んでいる。
●『医心方』──ストレッチ・牽引・自動運動の宝庫
日本最古の医学大全『医心方』(984年)は、導引の集大成ともいえる。
そこには、現代の理学療法士やスポーツトレーナーが読めば驚くような技法が並んでいる。
・腕を上げて伸ばす
・体幹を捻る
・前屈・後屈
・脚部の牽引
・呼吸と動作の連動
・立位での運動(歩行に近い操作が複数)
・足踏み運動
・蹲踞やスクワットのような姿勢法
これらはすべて導引”として整理されている。
つまり あん摩の導引は運動 という歴史的事実が、1000年前の日本ですでに成立していた。
●『導引図』──歩行・体操・自動運動そのもの
中国の『導引図』は、言い訳の余地がないほど明確である。
そこに描かれているのは、
現代のリハビリテーションの図解教材と言われても違和感がないほど、
体操・ストレッチ・歩行・姿勢矯正の動作ばかりだ。
・腕を後方へ大きく引く運動
・胸郭を開く呼吸運動
・片脚を前に出す歩行様式
・跳躍に近い動作
・体をひねる回旋運動
・前後に揺らすモビライゼーション様式
これらは、現代の理学療法士・トレーナーが行う動作とほぼ同じである。
つまり、
導引とは、歩行・自動運動・姿勢運動の総称だった。
●江戸期の盲人あんま──歩行・立位での施術が一般的
江戸時代の盲人あんまの記録を見ると、施術は寝たままではなく、
・座位
・立位
・歩行しながら
・歩数を増やす訓練
・姿勢の修正
・四肢の運動誘導
こういった方法が頻繁に用いられていた。
彼らは、患者を歩かせ、動かし、調整しながら施術していた。
つまり、
歩行はあん摩だった。
現代の
「歩行はリハビリです。
マッサージではありません。」
という行政の言葉は、
完全に歴史に反している。
古典あん摩の中心は動作であり、歩行である
揉むだけの按摩など、
古典のどこにも存在しない。
古典が教えているのは、次の一点である。
動かせ。歩かせよ。それこそ治療である。
導引とは、
・自動運動
・他動運動
・ストレッチ
・関節操作
・歩行
・姿勢運動
のすべてを含む巨大な体系だ。
だから本来、
歩行誘導はマッサージである。
歩行訓練はあん摩である。
導引は治療そのものである。
行政がどう言おうと、
医師がどう誤解しようと、
歴史が答えを出している。
■第八章 西洋手技との融合──なぜ日本は世界的に稀な統合国家資格を持てたのか
日本のあん摩マッサージ指圧師免許は、世界でも極めて異質である。
なぜなら、東洋手技(導引・按・矯)と西洋手技(マッサージ・徒手療法)を国家資格として統合した唯一の国だからだ。
アメリカでもない。
中国でもない。
インドでもない。
ヨーロッパにも存在しない。
日本だけが、東西の徒手療法をすべて取り込んだ統合免許を国家として制度化した。
これは偶然ではない。
歴史的必然であり、文化的必然であり、日本という国家が長い時間をかけて選び取った独自の道である。
日本はもともと外来文化を統合する天才である
まず前提として、日本という国は古来より融合を得意とする民族だ。
仏教はインド→中国→朝鮮→日本へ伝来したが、日本はそれを独自の宗派に発展させた。
武道も、中国武術や朝鮮の技法、弓馬武芸、相撲などを統合して成立している。
食文化も同じだ。
西洋料理も中華料理も日本化され、独自の体系として成熟している。
日本文化の特徴は、
外来要素を徹底的に研究し、融合し、独自化する
という一点にある。
東洋医学を受け入れ、
西洋医学を受け入れ、
それらを二元論として分離するのではなく、
両方使えるものは全部使うという姿勢をとる。
手技療法においても、これが強烈に発揮された。
●明治〜大正:東洋と西洋の徒手療法が一気に流入した
明治以降、日本は西洋医学を国家として採用した。
その際、以下の技術が大量に入ってくる。
・フランス式マッサージ
・スウェディッシュマッサージ
・関節モビライゼーション
・スポーツ徒手療法
・整復・マニピュレーション
・オステオパシー学派
・カイロプラクティック学派
当時の日本の治療家は、これを排斥しなかった。
むしろ積極的に学び、吸収し、使いこなした。
東洋医学者は西洋の解剖学を学び、
西洋徒手療法家は東洋の経絡を研究した。
つまり、明治〜大正期の日本の臨床現場は
東西ミックスの実験場
だったのである。
●昭和初期:整体・活法・指圧が西洋的徒手を大量に吸収
昭和初期になると、活法や整体の流派は、
欧米の徒手療法(オステオパシーやカイロ)を本格的に取り入れた。
骨盤矯正、脊椎矯正、筋膜リリース、関節操作……
これらは欧米の技法だが、
日本の治療家はそれを日本流に変換してしまった。
柔術活法は、もともと関節の矯正技術を持っていた。
そこにカイロ的要素が混ざることで、
一層洗練された矯正体系が成立する。
さらに、
浪越徳治郎は東洋の経絡 × 柔術活法 × 西洋マッサージ
を一つに統合して指圧を完成させた。
これは世界的にも完全にユニークだ。
戦後、療術界大混乱 。国家が全部まとめて資格にすると決断
戦後の療術界は、多流派が無数に乱立する手技戦国時代に突入する。
整体、活法、指圧、導引術、カイロ、オステオパシー……
これらが全部、民間療術として活動していた。
国はこのカオスを収束させるため、
全部まとめて国家資格として整理せよ
という前代未聞の方針を取った。
結果として誕生した資格が、
あん摩マッサージ指圧師免許
である。
そこには次の思想が込められている。
1. 東洋手技(導引・按・矯)を含めろ
2. 西洋手技(マッサージ・徒手療法)も含めろ
3. 指圧(東西融合)も含めろ
4. 危険行為と医行為だけ禁止
5. 技術の名前で線引きするな
6. 治すために必要な手技は全部使ってよい
つまり、
東西のすべてを使う総合徒手療法家こそ国家資格者である
と、国が正式に定義したのだ。
日本の国家資格は徒手療法の総合免許である
日本がたどり着いた帰結は明快だ。
使える技術は、東洋でも西洋でも問わない。
危険でなければ、すべて国家資格者の専門領域である。
これほど広く、これほど自由度が高く、
これほど歴史的・文化的背景を背負った資格は世界に存在しない。
あん摩マッサージ指圧師とは、
人類史上もっとも多様な徒手技術の使用を認められた資格者である。
■第九章 現代臨床での再評価──拘縮・疼痛・歩行改善における圧倒的効果
古典あん摩が示した「導引(動かす)」「按(押す)」「矯(整える)」という三本柱。
これは歴史的遺物ではない。
むしろ現代の科学が、この三要素の有効性を次々と証明し始めている。
いま、世界の医療は動作・圧・矯正による徒手的介入を再評価している。
筋膜科学、歩行研究、神経可塑性、疼痛生理学、加齢医学、
どの分野も、古典が言っていたことは本当だったと結論しつつある。
つまり、
古典に戻ることこそ現代科学に最も沿っている。
これを最も体現できる資格者は、いうまでもなく、東西手技統合資格である、あん摩マッサージ指圧師だ。
●拘縮改善──筋膜・関節包・腱の科学が導引の正しさを証明した
拘縮は、筋肉の硬さだけでは治らない。
筋膜・腱・靭帯・関節包・神経の滑走不全が複雑に絡む“全体の硬さ”である。
現代の研究はこう結論している。
「拘縮改善には、徒手操作+自動運動(導引)が最も効果的」
これは1000年前の『医心方』に書かれた通りである。
・押しながら動かす
・牽引しながら動かす
・伸ばしながら歩かせる
・体幹を捻りながら深呼吸
古典導引は、まさに現代の筋膜研究が推奨するアプローチそのものだ。
特に下肢拘縮には、
歩行+徒手操作
が劇的に効く。
寝かせて揉むだけでは、拘縮は緩まない。
動かすから改善する。
これが古典であり、科学であり、臨床の真実である。
●疼痛改善──“押圧×動作”が痛み回路を再構築する
慢性疼痛は脳の問題だと言われる。
だが、脳に働きかけるのは何か?
それは “適切な身体刺激と動作の組み合わせ” だ。
・軽い押圧で痛み回路を鎮める
・関節を動かして恐怖回避を改善
・歩行で神経回路を再学習させる
・姿勢調整で痛みの入力そのものを変える
現代疼痛科学が示すのは、
「押して、動かして、歩かせる」
という古典の三要素そのものだ。
つまり、
古典あん摩の操作は疼痛メカニズムに最も適した介入
である。
これは、寝たままの慰安マッサージでは絶対に到達できない領域だ。
●歩行改善──導引×矯正×運動が歩行能力を劇的に変える
歩行は、筋力の問題ではない。
可動域と神経協調と姿勢制御の総合である。
だからこそ、
歩行を改善するには以下の三つが必須となる。
① 関節可動域を広げる(導引)
② 軸のズレを直す(矯正)
③ 歩かせる(運動)
この三つを同時に扱えるのは、
日本では あん摩マッサージ指圧師だけ だ。
この三要素を全て統合できる専門家は、
制度上も歴史上も、
あん摩マッサージ指圧師だけである。
●科学が示す核心:可動域と歩行速度は強い相関を持つ
Bohannon(ボハノン)は30年以上にわたり、
高齢者の可動域・歩行速度・バランス能力を調査した。
結論は一言でいうとこうだ。
「可動域が狭い人ほど歩行速度は低下し、転倒しやすくなる」
つまり、
可動域改善 → 歩行改善 → 転倒予防
という強力な因果ルートが存在する。
徒手+動作でROMを改善できるあん摩は、
歩行改善の核心技術を本質的に備えている。
東洋手技の歴史が、現代の疫学研究によって正しさを証明されつつあるという事実は、実に痛快である。
古典の三要素こそ現代臨床で最も強い
拘縮に効く
疼痛に効く
歩行に効く
可動域に効く
姿勢に効く
神経に効く
循環に効く
なぜか?
理由はただひとつ。
古典が最初から、
動作×圧×矯正という総合アプローチ
を体系化していたからだ。
東洋手技は時代遅れでも迷信でもない。
現代科学の結論に、最も近い位置にいる。
そしてこの巨大な体系を唯一、
東西融合のかたちで使いこなせる資格こそ
あん摩マッサージ指圧師である。
古典に戻るほど、臨床は強くなる。
これは揺るぎない真実である。
■第十章 なぜ国家資格者こそ導引・歩行・あん摩を取り戻すべきか
ここまで述べてきた歴史、制度、古典、科学、臨床のすべてが示す結論は、驚くほど単純である。
あん摩マッサージ指圧師とは、
動かし・押し・整え・歩かせる
総合手技療法家である。
この資格の本質を誤解してきたのは、行政でも医療者でもない。
もっと言えば、国家資格者自身ですら、その全貌を知らされていなかった。
制度は広大で、教育は狭い。
技術は豊かで、現場の理解は貧しい。
古典は壮大で、現代の通念は矮小である。
だからこそ、いま必要なのは
本来の姿を取り戻す
という一点なのだ。
国家資格者が本来持つべき姿勢は「手技に上下はない、目的に上下がある」である。
揉む・押す・伸ばす・動かす・歩かせる・矯正する
どれが偉い、どれが正統、本流、邪道などという議論は無意味である。
目的はただひとつ。
「患者を改善させること」
古典のあん摩はそのために導引を用い、
浪越指圧はそのために矯正を用い、
西洋マッサージはそのために筋膜や血流を調整した。
目的のために技を選ぶ。
結果のために手段を問わない。
これこそ資格者が持つべき姿勢であり、国家制度そのものが与えた自由である。
●導引(運動)を取り戻せ
あん摩の中心は導引であり動作で治すことである。
にもかかわらず、現代の国家資格者は寝かせて揉むという狭い領域に押し込められてしまった。
だが、患者を立たせ、歩かせ、関節を動かし、姿勢を整え、運動と徒手を組み合わせると、臨床効果は桁違いに向上する。
高齢者の歩行改善、拘縮、疼痛、バランス、生活動作。
導引を復活させれば、国家資格者は医療現場で中心的役割を果たせる。
●按(押圧)を深化させよ
按とは、単に押すことではない。
筋膜、腱、靭帯、経絡、血流、神経、関節包
身体の深層まで影響を与える高度な身体操作だ。
現代の科学は、
「適切な圧刺激は疼痛回路を再調整する」
「押圧は筋膜の滑走を改善し、関節可動域を拡大する」
と明確に示している。
按の洗練こそ、国家資格者の生命線である。
●矯(整える)を取り戻せ
矯正は整体でもカイロでもない。
むしろそれらが後年「矯」を模倣したのだ。
矯は
・脊柱を整える
・骨盤を整える
・肩甲帯を整える
・四肢の軸を整える
・歩行姿勢を整える
という、身体機能の根幹を支える技術である。
本来の指圧がそうであったように、
矯正は国家資格者が扱うべき正当な技法である。
●歩行は治療そのもの
歩行は人体すべての評価であり、治療である。
歩行が改善すれば、
・可動域
・筋力
・姿勢
・平衡感覚
・生活動作
が同時に改善する。
これほど多面的で強力な治療が他にあるだろうか?
古典あん摩は歩行を治療に組み込んでいた。
国家資格者は本来、その中心技術を受け継ぐ存在である。
●国家資格者こそ、手技療法の総合家であれ
あん摩(東洋)
マッサージ(西洋)
指圧(融合)
この三体系すべてを同時に扱う資格を持つのは、
日本でただ一つ。
世界でただ一つ。
あん摩マッサージ指圧師だけだ。
だからこそ資格者には、
揉むだけの人で終わってほしくない。
慰安の人で終わってほしくない。
マニュアルだけの人で終わってほしくない。
国家資格者とは、
動かし、押し、整え、歩かせ、人を改善に導く総合治療家である。
本来の姿を取り戻せば、未来は拓ける
行政の誤解も、医師の無理解も、制度の歪みも、すべて一時的な表層でしかない。
歴史はこう述べる。
古典はこう述べる。
制度はこう述べる。
科学はこう述べる。
「本質は導引であり、按であり、矯である」
この三要素を統合し、
東西の手技を使いこなし、
患者を改善へ導けるのは、
国家資格者しかいない。
いまこそ、
導引を取り戻し、
矯正を取り戻し、
歩行を取り戻し、
あん摩の本質を取り戻す時である。
それが、
千年の伝統と、
戦後国家の決断と、
現代科学の成果を継ぐ者としての使命である。
マッサージZERO
〒810-0044
福岡県福岡市中央区六本松2-5-7高橋ビル303
電話番号:0120-921-665
受付時間:平日9:00〜20:00
当サービスのFacebookはこちら
http://on.fb.me/1SEFFvE